こんばんわ、ToMO(@tomo2011_08)です。
「稼ぐ力」を高める方法として、転職して本業の収入を上げる、本業で昇進する、副業をして収入を上げる、起業をして収入を上げるなどが考えられます。
今回は、「稼ぐ力」を高める手段として、転職について書きたいと思います。
転職は、人生においても大きな決断が必要なもので、失敗すると人生に大きな影響を与えるものです。
私は27歳のときと、39歳のときの2回転職を経験していますので、その経験も思い出しながら書いていきます。
少しでも皆さんの参考になれば嬉しいです。
現在転職を検討されている方におすすめの記事になります。
目次
私の社歴
私は、電子・情報系の大学を卒業しました。
大学では、アルバイトと遊びに明け暮れ、授業には出席していましたが、全く勉強はしていませんでした。
その後、社会人になっていくのですが、その社歴について書いていきます。
1社目就職期(22歳)
私は、就職氷河期世代と言われる世代です。
ロストジェネレーションとも呼ばれていました。
大学卒業後、ちょうどバブルが崩壊して就職難となった世代のことです。
大手企業でも、採用を抑制したり、凍結していて、確か大学卒業後の就職率が50%を切っていたと思います。
大学卒業しても、大学生の半分しか正社員として就職できなかったということです。
そのため、正社員になれず派遣社員が急激に増えた世代になります。
派遣社員で、まともな給与がもらえない人が殺到した”年越し派遣村”という言葉も流行りました。
年越し派遣村とは、ボランティアが作った年越しに行われた炊き出しに、お金がない派遣社員の方が殺到したというものです。
人手不足の今では考えられないことです。
私の周りでも、大学卒業しても就職が決まらない人が多かったです。
そのような人は大学院に行ったり、ニートになったりしていました。
私はその中でも運よく就職できましたが、大手の有名企業ではなく一部上場ですが、エンジニア派遣の企業にエンジニアとして就職しました。
エンジニアとして大手企業に派遣されて、大手企業の正社員とともに技術系の仕事をするといったお仕事でした。
就職したのは良いのですが、大不況だったために半年間派遣される企業が決まらず、長い間会社で技術を学ぶ研修をしていました。
長い人では、1年しても派遣される企業が決まらないという人もおられましたので、それを考えると、私は半年ということでましな方だったのかもしれません。
大手企業が採用を見送るほど景気が良くなかったのですから、派遣される企業が決まらないのは当然のことです。
ただ、私の会社は研修中もそれなりの給与が保証されていましたので、一般的な派遣と比べるとかなり恵まれていたと思います。
一般的な派遣は、仕事が決まらなかったら給料はゼロです。
さすがは一部上場企業だと思いました。
1社目→2社目転職活動期(22歳~27歳)
私は運よく半年間で研修を終え、みんながご存じのような大手電機メーカーで半導体設計するためのツール開発の仕事をすることになりました。
私はこの時までまともに勉強してこなかったですが、さすがに仕事をしてお金をもらっている以上、しっかり成果を出さないといけないという思いから、必死で勉強をしました。
そのおかげで、5年間で与えられた大体の仕事ができるようになり、以下の点から転職を考えるようになりました。
- 仕事に物足りなさを感じたこと
- つぶしの利くような技術を身につけられる仕事ではなかったこと
- 派遣という異動ありきの業種であることに不安定さを感じたこと
- 給与への不満
仕事の物足りなさ
私の仕事はC言語を使って、半導体設計するためのツールを開発するお仕事でした。
私は大学時代、プログラミングの授業もありましたが、全然勉強していませんでした。
ですので、仕事を始めたころはさっぱり仕事ができない人でした。
さすがにまずいなと感じて、プログラミングについて平日・休日問わず勉強しました。
また、IT系の国家資格にも合格しました。
そのかいあって、大体の仕事ができるようになって、もっと高度な仕事をしたいと考えるようになっていました。
つぶしの利く技術を身につけられない
私は転職サイト等を利用して、今の日本でどういう技術の市場価値が高いのかを常にチェックしていました。
これは、長い社会人生活において社会から私が必要とされるのかを不安に感じていたためです。
必要とされていなければ、私はその時点で働き口がない状態になるからです。
就職氷河期を経験したということが、この不安感につながっていたのかもしれません。
そう考えたときに、今の仕事で使っている技術は、あまり他の会社で必要とはされていない、必要とされている範囲が狭いと感じました。
かつて日本がNo1だった半導体設計の業界も、今では海外にシェアを奪われ、日本においては規模が小さかったのです。
派遣業の不安定さ
エンジニア派遣業という業態ですので、顧客は日本各地の大手メーカーが大半になります。
日本の大手メーカーは、バブル崩壊以降、海外メーカーに押されて、なかなか業績が安定しない企業が多いです。
私は、メーカーの正社員とともに仕事をしていましたが、メーカーの業績が落ちれば真っ先に切られるのは我々派遣です。
切られた先には、違う企業に派遣され、違う仕事を覚えてやらなければならない。
それは必ずしも自分の希望する仕事とは限らない。
派遣業として当然と言えば当然ではあり、それを承知の上で就職したのですが、実際にそれをやるのはかなりしんどいなと感じるようになりました。
私はそこまで器用なタイプではないので、1つのことを集中してやりたいと考えていました。
私は幸運にも、5年間同じ派遣先であったため、他の会社で違う仕事をするといった体験はありませんでしたが、転職していなければ、いつかは体験することになったでしょう。
転職して違う仕事をすることになったのですが、1社目に就職したという気持ちで、集中して1つの仕事をできたので、そこまで不安を感じませんでした。
給与への不満
派遣社員の給与は、派遣元と派遣先で協議して決定されたレート(労働時間1時間あたりの単価)により決定します。
私の派遣先は、顧客の中でも超大手企業であったため、私の会社から派遣されている人はかなり多かったです。
そのため、レートは団体割引のような形で決まっていました。
これだけの人数と契約するから、単価は相場よりも安くするといった感じです。
1年に1回派遣元と派遣先で協議して、更新するかどうかや、レートが決定されます。
私は派遣先の方から必要ということで、5年間更新されていましたが、レートの向上は微々たるものでした。
一方で、私と同じ派遣先から契約更新しないと言い渡された人が、他の派遣先に行きますが、団体割引がされていないレートになるので、大幅に給与が上がったということを聞きました。
言い換えれば、派遣先から能力を認められた人よりも、契約を更新しないと判断された人の方が給与が高くなるということです。
この仕組みには、かなり納得がいきませんでした。
会社との派遣先変更交渉
私は、上記の不公平を理由に所属する会社に言って、派遣先を変えてもらうように交渉を行いました。
その回答として、能力を高めることを条件に派遣先を変えるということを約束してもらいました。
それを受けて、私はさらに猛勉強をして、国家資格である情報処理技術者試験の「ソフトウェア開発技術者試験」に合格することができました。
この試験は、合格率15%程度の超難関資格で、ソフトウェア開発の高度の知識・技術があることを証明してくれるものです。
私は早速、この結果を会社に伝え、すぐに派遣先を変更するように言いました。
その回答が、引継ぐ人を探す時間が必要、派遣先と交渉するが、良いタイミングが来るまで待って欲しいということでした。
これに納得できなかった私は、1回目の転職を決意して、転職活動を始めました。
これが大学を卒業・就職して、5年目の27歳のころでした。
転職活動
私は転職に当たって以下の条件を設定し、候補企業を選定しました。
- 大幅な給与アップが見込めること
- 今までに身につけたスキルを活かせること
- 製造メーカーであること
- コンシューマー向け製品開発の仕事であること
私は、リクナビNEXTやマイナビ転職、エン転職等に登録しました。
そして、条件にあった企業をある程度目星を立てて、リクルートエージェント等のエージェントに企業を紹介頂きました。
リクルートエージェント等のエージェントに登録すると、休日に企業の紹介や面接の練習を行うため、エージェントのオフィスに行くことなります。
そこで企業の紹介を受けて、応募する企業を決めて、一括して応募してもらうことになります。
書類審査に合格すると、面接に呼ばれることになります。
大体、各企業の面接は2,3回あります。
もう15年以上前のことで、かなり忘れてしまっているのですが、1回目の転職にはかなり苦戦したことを覚えています。
5社ほど応募して、書類審査に落ちたもの(3社)、1回目の面接で落ちたもの(1社)、最終面接で落ちたもの(1社)、様々だったと思います。
面接の日は、会社を休む必要があり、休日も面接の練習をエージェントとするので、かなりハードだったことを覚えています。
最終的には、条件をすべて満たす企業に合格できました。
あくまで条件をすべて満たす企業だとわかるのは、入って一通り会社を理解した後ですが。
もちろん、応募する前には下調べはして、ある程度条件を満たしていることはわかります。
しかし、細かいことを言い出すと、下調べや面接で言われていたことと少し違ったりします。
細かいところは、ある程度賭けになってしまうのかなと思います。
面接は、企業側が応募者を審査すると考えている方もいるかもしれません。
しかし、あくまで応募者も企業が自分の希望するような企業かを審査するつもりでなければいけないと思います。
そうすることで、入社する前と後で違うということが少なくなります。
もし応募者が企業を審査して、条件に合致していないと見極めたなら、応募者側から断ればよいのです。
2社目転職成果
転職活動を開始してから、内定をもらうまで4,5か月くらいはかかったでしょうか。
2社目は、一部上場で半導体製造装置を開発・販売する会社でした。
1社目では、派遣先で過ごすことが多く、派遣元企業との帰属意識はほとんどありませんでしたので、2社目では、自分の会社の利益のために働きたいと思っていました。
また、1社目では社内で使うツールを開発していて、直接会社の利益に貢献しているという意識をありませんでした。
しかし、2社目では直接製品を開発して利益に貢献できるようになることに、ワクワクしていたことを覚えています。
バブル崩壊前までは、終身雇用という考え方が強く、転職することは何かしら引け目を感じることがあったと思います。
しかし、現在は企業の方から人を切る時代ですので、自分の幸せや信じるもの、大切にするもののために転職するのは、決して引け目を感じることではないと思います。
私の1回目の転職は、給与を上げたい(「稼ぐ力」を高めたい)、もっと自分の能力を生かせる仕事を思いっきりやりたい、会社の利益に直接貢献したいということが目的でした。
給与は、最初は1.2倍ほど増えたくらいでしたが、昇給や昇進で40歳頃には年収1,000万円弱程度の給与でしたので、日本企業の中でも高い給与をもらえる企業でした。
今まで身につけたプログラミングスキルを生かせる仕事でしたし、会社の利益に直接貢献できる仕事でしたので、大成功だったと思います。
長くなってきたので、今回はここまでとさせて頂きます。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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2回目の転職以降については、次回ご紹介したいと思います。
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